自分で言うのもなんですが、割と若く見られるクチです。
今年というか今度の1月で39才です。まだ38才です。
もうすぐ四十路ですね。
よそじって読むって知ってました?
さて、前回どんな人間かという事で書いてみましたが、極々一部の方だけに割とご好評頂いているようですので、せっかくなんで生い立ちなんかも書いてみようかなと。
ワタクシ山口健太郎、昭和56年1月の諫早生まれ、松坂世代ってやつです。1980年生(昭和55年生)世代となります。ヴィファーレンで言えば玉田選手と同い年です。
当時は西諌早ニュータウンの県営住宅に住んでおり、のちに福田町に生活を移します。
4人兄妹の長男、妹3人の6人家族。
幼稚園は西諌早幼稚園、西諌早ニュータウンは7才まででしたので、小学校1年生までは真崎小学校。
そこからは福田町に引越しましたので、小学校2年からは北諫早小学校、続いて北諫早中学校、諫早高校と通いました。
諫早高校というと一応進学校ですが、生徒の学力は割とピンキリで、成績はほぼ毎度下から数えてナンボ的な感じでした。ロークラの中でもケツ争い的な。
ちなみに小学校2年生の時に今は無き福田ジュニアというチームでソフトボール初めて、その後も中学校は軟式野球、高校では硬式野球と、合計11年ぐらい野球はやってました。
高校球児ってやつでしたよ。もちろん坊主で。甲子園目指してました。本気で。
そのあとは現在の職の専門学校に入りましたが、あまり人には積極的に言わない闇の1年というのがありまして、ワタクシ1年間浪人しております。
そう、高校3年時に専門学校を複数受験したわけですが、ことごとく撃沈したワケです。4校ぐらいかな。
当時1998年、現在は鍼灸師や柔道整復師の専門学校なんてあまる程ありますが、当時は九州には鍼灸の専門学校が鹿児島にしか無く、全国的に大変入るのが厳しい業種の専門学校だったんです。
私が行くところになった神奈川衛星学園専門学校というところも倍率は8倍だったとか。いやホント。
結果的に1年間浪人したあげくまた複数の鍼灸専門学校を受験し複数受かりましたが(ココ大事)、その中の神奈川県の専門学校に通うことになります。
神奈川県の小田原市というところで3年間在住するとなんちゃって標準語かぶれ野郎の出来上がりです。
で、3年経って鍼灸師とマッサージ師の国家試験を受験し無事合格しそのまま長崎に帰郷。
そういえば国家試験の2日後に調子に乗ってスノーボードで骨折するということもありましたね。
卒業式はギプスの松葉杖で出席しました。
長崎に帰ってきてからは長崎弁までおかしくなっている始末の中、こっちでの働き先を探しているうちに藤本整骨院と出会いそのまま入社。
職場が長崎市だったのですが、しばらくは諫早在住の先輩に一緒に連れて行ってもらい半年ほど諫早の実家から長崎まで通勤し、半年後長与町に引っ越します。
長与町といっても長崎市との境目の高田郷というとこでしたが、長与町での一人暮らしは6年ぐらいでしたでしょうか。
そして結婚を機に時津町の左底郷というところに引っ越すこととなります。
諫早~長与~時津時代の藤本整骨院ではちょうど10年お世話になり、2013年に治療院えん(鍼灸院)として開院し、2016年で整骨院えんとなりました。
開院当初は時津からはるばる車で通ってましたが途中で若葉町に引っ越してきてそこで5年ぐらい住んで今はまたどっかに住んでおります。
現在子供は今年7才と4才になる男二人。小1と年少。
パパです。
朝早くから夜も割と遅くまで仕事して休みも日曜のみなので、母ちゃんが頑張ってます。
ワンオペ育児ってやつですかね。申し訳ない。
っということでして今に至る感じで、なんの変哲もない経歴の持ち主ということで御座いまして皆様方今後共宜しくお願い申し上げます。